煎茶 花月菴会

煎茶の道具

涼炉

 涼炉は、文字では涼炉と書きますが、宝暦十四年に発刊された木村兼葭堂の「煎茶訣」にも、真斎清事録には「涼炉(コンロ)と呼べり」とあり、また「明以後の製なり。按ずるにコンロとよぶは、涼炉(リョウロ)の唐音なるべし。俗間に昆崙の文字などを配当せしは、謂れなき伝会の説といふべし」と、「煎茶早指南」にも涼炉(コンロ)とあります。
 涼炉は、煎茶道具中第一の品であり、白泥、紅泥、紫泥、青華磁、銅、鉄製などがあります。
 形は、大、小、一文字炉(上端が平らなもの)、三峰 炉(上端が三つの峰になっているもの)などがあり、風 門といって、前面の空気穴にも、梅花風門、楓風門と、作者の意匠によって、いろいろと作ってありますが、地水火風を備えたものが、大部分です。
 つまり、涼炉の素材が土壌でできているものゆえ、地。風門の形が水草の形で、水。中に火を入れ、風の 通じをよくするため、風門を備えています。
 写真2は、青木木米作。風門に風の神あり、上の風門は水草の形。
 炉台は同じく青木木米作。ボーブラは、唐物白泥のもの。

写真2

隠元涼炉

 この涼炉は、隠元禅師が、日本渡来のときに持参して、宇治黄檗山で煎茶を楽しんでいたことを実証するものです。
 流祖鶴翁が入手して、黄檗三十一代若存禅師に箱書き(写真4、写真5)を願ったものです。
 袋の書きつけ(写真6、写真7、写真8)は、黄檗三十二代楚 州禅師です。

隠元涼炉

写真4

写真5

写真6

写真7

写真8

秋成涼炉

 上田秋成自作の涼炉。箱書き(写真10)は青木木米。

秋成涼炉

写真10

仁阿弥道八作一文字涼炉

 写真11、写真12、写真13はいずれも道八作、一文字涼炉を三面より写したもの。写真11は上田秋成の書を月峰刻、写真12は呉春が霊石を描き、大寿が刻したもの。写真13は村頼栲亭の書を木米が刻したものです。写真1はその正面。ポーブラは隠元禅師伝来。炉台は青瓷高欄です。写真14はその箱書きで月峰の書。写真15は百六山人(木米)の書。写真16は、同じく大寿書。

仁阿弥道八作一文字涼炉

写真11

写真12

写真13

写真14

写真15

写真16

白泥三峰炉(揚名合利銘)

 この涼炉は、黄檗・獨立和尚のもたらした涼炉で、売茶翁高遊外が、担茶具の中に入れて景勝の地で使っていた涼炉(現在、花月菴蔵)を、流祖鶴翁が、木米に 摸して作らせたもので、そのわけが木米の書状(写真18)や箱書き(写真19)にあります。

白泥三峰炉

写真18

写真19

子母炉

 この涼炉は子母炉といって、提籃の中に入れて持ち歩くのに便利。小さくなるようにくふうして、流祖鶴翁が木米に注文して作らせたものです。
 写真21、22のように、風門のある下部が、上部の中へはめ込めるようになっています。また、涼炉のつめは、とりはずせるようになっています。

子母炉

写真21

写真22

銅製涼炉

 この涼炉は、青木木米のあっせんで、鶴翁が入手したものです。
 写真23の涼炉のもとの持ち主を、木米に問い合わせ、その返事が写真25の手紙です。
 写真23、24ともに唐製の銅炉(写真26は23の箱書き)で、開中和尚の書。ともに火を入れる部分は、木米の作です。

写真23

写真24

写真25

写真26

白泥三峰陽羨炉

 明人除荷舟がたずさえていたものです。

白泥三峰陽羨炉

紅泥埴田款紋涼炉

 流祖鶴翁の好みのものです。
 売茶翁所持の瓦炉の意匠によって、これを好んだといわれます(款紋は稲を刈りとったあとのたんぼと稲をたばねた図です)。
 泉州八田邑の土をもって野田松斎が作りました。

紅泥埴田款紋涼炉

秀才炉(揚名徳勝銘。)

 風門が、上方は扇形、下は水草花文と、二重風門の美しい涼炉です。
 「揚名徳勝」という銘のあるところから、揚名の字が違いますが、陽明家(近衛家)へ渡って、明治初年公卿華族の疲弊救済の考えから、皇室お買い上げで御料品となりました。
 この涼炉と、揚名合利銘の涼炉(自泥三峰炉、獨立和尚もたらしきたり、売茶翁所持、のち花月菴蔵)とが、中国明時代の同時代作のもので、明治十年明治天皇に花月菴一窓が献茶の際、お話し申し上げたところ、翌十一年皇太后大夫杉孫七郎子爵が、この御物の涼炉を奉じて、上本町の花月菴に来られ、天皇ご愛用の「揚名徳勝」の涼炉と、花月菴の「揚名合利」の涼炉とをくらべて、両方はまったく同時代作のものであることを証明されました。
 そのとき、一窓は、この御物の「徳勝」涼炉がいかにも美しく、気品あふれるもので、ほしくてたまらず、かといって皇室の御物ではいかんともなしがたく、その形、大きさを原寸どおりに摸して、みずから作ったのが、この涼炉です。
 形の美しいことは、涼炉中で第一だという意味で、「秀才炉」と名づけられました。

秀才炉(揚名徳勝銘。)

炉台(写真29~34)

炉坐、炉盤ともいって、涼炉の下に敷く台です。
この炉台は、板状になっているものや、足のついているもの、また高欄のついているものもあります。
写真29は、木米作の白泥八角の炉台です。30は、その裏面。写真31は、木米作の青瓷の高瀾つきの六角炉台です。写真32は、古染付輪花式炉台。写真33は、萩の松本焼の炉台です。写真34は、大理石の炉盤です。

灰炉(写真17~20)

灰炉と涼炉(風炉)との違いは、涼炉は炉扇であおいで火をおこすように作られたものですが、灰炉は元来、売茶翁が灰の中に火だねを埋めて、荷担茶具の僊かの中に入わて、随処に持ち歩き、必要なとき、この火だねを涼炉へ移して、茶を煮たときの道具でした。
現在では、その灰炉の写しをお点前にも使っています。
花月菴流では、煎茶式のとき、行草一の飾り、行行一の飾りには、灰炉を涼炉と同時に使います。
淹茶式のときは、行の草灰炉飾り、行の行灰炉飾りといって、瓶懸の飾りと、掠炉飾りの中間のお点前をします。
写真17、18は、いずれも売茶翁の遺愛の品です。
写真19は17の、20は18のそれぞれ箱書き。
この形を写した、陶磁器製のもあります。

瓶懸(写真21~28)

一般家庭の小型の火鉢のょうなもので、大、中、小とあり、形もさまざまで、中国より渡来のものから、日本の茶人の考案によって作られたものもあります。
写真21は、中国、南宋(1127~1279)時代の竜泉窯書磁で、このような青瓷が第一とされ、写真23のような古染付(1365~1465)が、これに次ぎます。
写真22は、形が古代のカナエのょうなもので、足は三本で、上部に刻された三字、坎は水、巽は風、離は火。いずれも易の卦で、上に水を入れたものをかけ、中は火を入れ、下は風、という意味に作られたものもあります。
写真24は、朱銅製。写真25は伊賀窯。写真26は、青磁夜学式。写真27は、京焼で粟田窯。写真28は、白瓷陽紋、初代竹泉の作です。

葉茶器(写真1~15)

煎茶では、粉の茶でなく、葉の茶を使いますので、葉茶器と呼んでいます。
上田秋成著の「清風瑣言」に「茶を貯ふるは、錫壷に勝る者なし」とあるように、錫の葉茶器を第一とします。
唐物の葉茶器には、錫製のものが多いのですが、売茶翁所持の葉茶器は、写真1写真1の青華磁(染付)と、写真2、3の唐錫の林克瑞製です。
葉茶器には、ほかに写真10の螺鈿(青貝入り)、写真9の唯朱、写真8の呉須冠手、写真4の祥瑞、写真5の大理石入り、写真7の着彩、写真6の白磁など、形もいろいろとあります。
また、唐物の葉茶器は、仕覆に入れて使います。
写真11は、唐物の趙昆玉製海裳式のもの。写真12は、唐錫、高字式で毛彫があります。
写真13は、奥田穎川の作った赤絵。
写真14のように、中蓋のあるもの(写真15参照)は、葉茶器を絹拭でぬぐつたときに、中蓋をとり出し、茶架の客つきに仮置きしておくのです。

絹拭(写真16~18)

煎茶の絹拭は、金華布(金更紗)を最高とします。更紗の上を金泥で措いてありますので、抹茶のような絹拭さばきができないのです。ほかに、インド更紗、ジャワ更紗、チリ布などがあります。
写真16は、金華布と古漬り更紗(下)。写真17は、ジャワ更紗(下)とチリ布間道。写真18は、間道織(左)と緞子。
なお、寸法は、淹茶用は27.5㎝四方、煎茶用は25.5㎝×24㎝。

仙媒(写真19~28)

仙媒とは、お茶を仙人にたとえて、このお茶を葉茶器から急須あるいは茶銚に仲介する意味。媒酌人-仲人するというので、仙媒といっています。
仙媒には、写真19、20、21、22、23、24、26、27、28のように竹製や、写真25のように木彫のものが多く、中でも、写真19のような紅斑紋竹の仙媒を珍重します。
また、写真21のような、番茶用に使っている大きいのは、昔、画家たちが筆を安定させるため、腕下にあてて使った腕枕(腕のまくら)を利用しているものもあります。

茶碗(写真1~15)

煎茶の茶碗は、陶器より磁器のほうが多いようですが、流祖鶴翁が青木木米に依頼して作ってもらったものの中には、陶器製の名品があります。
写真1は、古染付で、売茶翁が所持していて、毎日茶を売っていたとき使ったもの。売茶翁は老年になって、茶を売ることができなくなったとき、これを宇野士新におくったと言います。翁没後、宇野士新より木村兼葭堂へ。兼葭堂より他の売茶翁の遺品とともに花月菴へきたものです(写真2は兼葭堂の箱書き)。
写真3は、古染付漁樵問答茶碗。4はその底の銘、5はその仕覆。写真6は、古染付腰捻茶碗。写真7は木米作万古茶詩茶碗。8はその底の銘。写真9は、木米作御本立鶴写し茶碗。陶器製。写真10は、木米作青磁茶碗。陶器製。写真11は、木米作刷毛痕茶碗。陶器製。写真12は、木米作金襴手艸花雁紋茶碗。写真13は木米作雲鶴仙人茶碗。写真14は、和全作銀襴手すすり茶用の茶碗で、蓋つき(写真15)です。
煎茶式に使う茶碗は、茶鍾と呼んで、煎茶式で洗うとき、糸底を持って洗いますので、注文して作ってもらったものは、糸底が高く使いやすくなっています。
淹茶式に使うものは、糸底が低いのです(写真3、6、9、14など)。

茶碗筒と茶碗籠(写真16~20)

茶碗筒(写真16、17)、茶碗籠(写真18、19)は、茶碗をおさめておくもので、煎茶式、淹茶式ともに茶具褥を使わないとき、つまり、夏季とか、長板飾りなどのときに使います。 竹藍編み、膝編み、竹筒、厚紙製などから、最近は夏季用として、プラスチック製(写真20)のものもあります。

茶托(写真21~25)

茶碗をのせて出す茶托は、やはり中国明時代のものが最も尊ばれ、錫製が大部分です。
形は、大小いろいろとあります。
写真23は、唐物錫製、蓮蝶式乾茂号造。写真24は、唐物錫製、木瓜式肖天泰造。写真21は、右が唐物銅砂張り円式。左が唐物、椰子材木瓜式。写真22は、左が唐物、錫、蓮弁式。右は菊花式。写真25は、左手前が唐物鉄覆輪梅花式。右手前は茶の実式。向こうは笹葉式。

煎茶式の急須(写真1~12)

これは、煎茶式の場合、なくてはならぬもので、陶磁器製です。
けいこ用の急須は、白磁を使いますが、これは茶かすの掃除がしやすくてよいためです。
しかし、涼炉が白泥の場合が多いので、やはり着彩のほうが、色のとり合わせのうえでよいのです。
写真1は、尾形周平作の金襴手、竹林七賢大国のもの。写真2の青瓷、写真3の三島写し、写真4の白欣陽紋、写真5の鋏粕雲鶴紋、写真6の黄交趾写し荒磯紋は、いずれも青木木米作のもの。写真7、8は、「阿弥道八作、青華磁仙人図のもの。

淹茶式のつぎ回し用急須

これは、煎茶式の急須にくらべて、小型です。茶銚一双扱いの点前のとき、つぎ回し用に使います。
写真9は、尾形周平作、青磁。写真10は、尾形周平作、金襴手、海の幸。写真11は、尾形周平作、波濤に兎。写真12は、青木木米作、白磁陽紋。

瓶台(写真26、27)

つぎ回し急須や、かえ急須をのせて出す台のことで、煎茶では、三煎目のお茶を、客の自由にまかせてつぎ回すことになっています。
三煎日のお茶は、茶かすをはなして、かえ急須に入れ、瓶台(写真26)にのせて、客の前に運びます。
客は、自由に自分のほしい量だけ、自分の茶碗につぐことができるわけです。
また、淹茶の茶銚一双扱いのとき、つぎ回し急須を使うときには、同じように、小型の瓶台(写真27)を使います。
唐物の寄せ木作り、堆朱、螺鈿(青貝入り)、栗の木のひきもの、竹編み、藤編み、竹根編みなどがあり、形も大小があります。

茶銚(写真13~20)

宜興茶銚には、朱泥、紫泥、梨皮泥、烏泥とその種類がいろいろあります。
この茶銚は、宜興窯と呼ばれているもので、その窯は、現在の中国江蘇省荊渓県にあって、そこは有名な太湖を隔てて蘇州の対岸にあたります。
明の万暦年間の作と伝えられています。
煎茶人のいちばんよろこぶ茶銚は、倶輪珠式で、次に三友居式です。これらには、形に大小があって、小さいのを独茶銚丁稚倶輪珠と呼んでいます。
昔、高価で買い求めた人が、金華布の袋に入れたり、有名な山本竹雲に箱書き(写真14)を依頼したりして、珍重がったものです。その稀少価値から高価ということなのです。
写真15は、梨皮泥倶輪珠式茶銚。萌黄金華布仕覆つき、竹雲箱書き。写真17は、朱泥三友居式茶銚。織物仕覆つき(写真16)。写真13は、宝瓶と言い、大炉の点前に使用。写真18は、青華磁雲鶴模様茶銚、三浦竹泉造。写真19は、金襴手唐子遊び茶銚、三浦竹軒造。写真20は、着彩緑釉金描茶銚、三浦篤造。
日本の名工の製作した茶銚には、倶輪珠式、三友居式の形を写したものも、多くあります。
また、宝瓶は茶銚の代用として使います。これは泡瓶の文字を使っていますが、花月菴流では宝瓶という文字にかえました。

ボーブラ(湯灌、写真13~16)

ボーブラとは、素焼きの急須形のもので、ポルトガル語で、かぼちゃの形をしたものとの意味で、中国で古くから、湯をわかすため、涼炉にかけて使用したものです。
一般にはポーフラとよく言いますが、まちがいで、ボーブラが正しいのです。
写真13のボープラは、隠元禅師がもたらしたもの。写真15の箱の表書きは、聞中禅師。写真14の箱の内書きは、西江という銘を伝えます。
写真16は、左が文政渡来のボーブラ、右が木米作の自泥ボーブラです。

▲ トップへ戻る