お知らせ

2014年 東京支部 護国寺茶会

5月25日(日)音羽護国寺にて東京支部主催の茶会が開催されました。

天候にも恵まれ、多くの方にご来喫いただきました。 

 

牡丹の間 客間  淹茶席  美湧会

美湧会W300美湧会(床)W300

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楓の間 新書院  煎茶席  長野鴻谷

     長野席W300長野席(床)W300

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

艸雷庵 立礼  煎茶席  青登会

青登会W300

青登会(床)W300

 

 

 

 

 

 

 

青登会(寄付き)W300

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圓成庵  淹茶席  荒井萬涌

荒井席W300荒井席(床)W300

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗澄庵  淹茶席  素香会

素香会W300

   素香会(床)W300

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不昧軒  淹茶席  五仙会

五仙会W300五仙会(床)W300

 

     

 

 

2014年 東京支部 護国寺茶会のご案内

護国寺茶会のご案内200

新緑の候、皆様には御機嫌よろしくお過ごしのこととお慶び申し上げます。

例年の如く、同門社中の煎茶会を催します。

ご多用のことと存じますが、お誘いあわせの上、ご来喫のほどお待ち申し上げます。

 

 

日 時 : 平成26年5月25日(日)

      午前10時より午後3時まで

場 所 : 音羽 護国寺

      文京区大塚5丁目40番地

主 催 : 煎茶花月菴流東京支部

2013年 花月菴会総会

2 0 1 3 年 煎 茶 花 月 菴 会 会 員 総 会

秋の年次総会を石川県の皆様のご協力を得て開催いたします。今回は 『奥の細道』 で知られる松尾芭蕉が旅の途中で逗留し、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂い」と絶賛した山中温泉での開催です。
情緒豊かな歴史ある建物でお茶をお楽しみいただき、広々とした温泉でお体をゆっくり休めていただければと思います。前回の兼六園でのお茶会からちょうど10年、どうぞ皆様お誘い合わせの上、加賀の地にお集まりいただき、親睦を図っていただきたいと思います。多数のご参加をお待ちしております。
 
無限庵H150無限庵2-150

 

 

 

 
 
 
 
石川県指定文化財 無限庵 .
加賀市山中温泉にある県指定の文化財です。茶席となる書院は加賀藩最高の武家書院であり、明治末期の木造技術の枠を集めた最高級の普請であったと語り伝えられています。尾形光琳の扇、九谷焼、加賀蒔絵の漆器等の古美術品と共に公開されています。
 
 

開 催 日     平成 25 年 10 月 5 日(土)

総会茶会   無限庵 (石川県指定文化財)

翠 明 (山中温泉旅館)

総      会    翠 明

 

総会茶会 こおろぎ橋

場     所     無限庵   香煎席・淹茶席・おしのぎ(柿の葉すし)

時     間     午前 9 時 30 分~午後 3 時 (受付は 2 時迄)

場     所     翠明 美作   煎茶席

時     間     午前 10 時 30 分~午後 3 時 30 分 (受付は 3 時迄)

 

 会員総会

場     所     翠明    長生殿                    

時     間     午後 5 時~午後 5 時 50 分                                     

 

懇 親 会

場     所     翠明 コンベンションホール

時     間     午後 6 時~午後 8 時 

 

山中温泉
1300 年前、僧・行基により発見されたと伝 えられる情緒あふれる温泉地です。 山中漆器、九谷焼発祥の地とされ、伝統芸 能「山中節」にふれることができる「山中 座」、総湯「菊の湯」などの名所探索や渓 流散策など、1 時間程でめぐる事ができる、 ほどよい大きさの温泉街です。 歴史ある良質な温泉や文化、豊かな自然を ぜひお楽しみ下さい

2012年 花月菴会総会

梯熱海温泉今年の花月菴会総会は、十月二十八日福島県磐梯熱海温泉にて開催されます。
東日本大震災から一年四ヶ月、一歩一歩復興へ歩みを進めている福島を応援いたしましょう。
 
 
 
 
ふるさとの歩み 
福島支部 伊藤翠皐
仙台が東北地方の中心になったのは近代のことで、それまでは会津がより重んじられていました。しかし、会津はきわめて狭い盆地に位置していたため近代の開発から取り残されました。
東北地方には、地理的な負の条件があまりにも多く、広大な面積を持つのに、その大部分が山地や高地であり、そして、南北に広く、東西に狭い。それでいながら、中央部の山地によって太平洋沿岸と日本海沿岸との交通が阻害されました。このような条件のために、戦国時代の東北地方は、多くの大名領に分立していました。
古代には、広い面積を持つ東北地方に、陸奥と出羽の二国しかおかれませんでした。朝廷は仙台平野を東北経営の拠点として、陸奥国府多賀城をおきました。
源頼朝は鎌倉幕府を開き、奥州を武力で征服しました。そのとき、彼は関東の御家人を奥州地方に配備し、彼らに所領を与えました。しかし、もとから奥州地方に土着していた豪族も多く、そのためこれ以降の東北地方には小勢力の抗争が繰り返されることになりました。建武新政のとき、朝廷は多賀城を再考し陸奥の将軍府をおきました。しかし、まもなく建武政権が倒れたために、将軍府は東北地方の全域の支配を形成できませんでした。その後、南朝側の北畠氏と足利一門とのあいだの多賀城争奪戦がくり広げられました。そして、南北朝の騒乱が収まったあと、足利一門の斯波(しば)氏が大崎探題となり陸奥国を治めることになりました。
戦国時代に蘆名(あしな)氏が押さえる会津が仙台平野にかわって、重要な拠点になっていきました。伊達正宗は東北統一の野望を抱き、天正十六年(一五八八)に蘆名氏を倒して会津を得ました。 しかし、彼はその二年後に豊臣秀吉に降らざるを得なくなりました。そのとき秀吉は伊達正宗の所領を岩手地方に移しました。このあと、秀吉は蒲生氏郷に会津をあたえて東北経営を命じたのです。(蒲生氏郷に、利休の死後、息子の少庵が預けられた話は有名である)
この度、福島についてという原稿のご依頼があり、いつの時代を書こうか、どこに焦点を当てようか、いろいろ思い悩み、まず最初に、あまり教科書には出てこない東北の歴史の流れを書かせていただきました。
ここで一首紹介いたします。郡山が陸奥国、安積郡だったころのものです。
神亀四年(七二四)聖武天皇が即位するとすぐ、地方の状況調査に葛城(かつらぎ)王(のちの橘諸兄)が片平の里に到着したとき、迎えが遅れたのか、少しお怒りになっていました。そのとき、采女(うねめ)が参上して歌を一首献上しました。
 

    安積山 影さえ見ゆる山の井の

           浅き心をわが思わなくに

 

(私たちは、あの安積山の影を映している山の井の清水池のように清らかで親しみを持って、お迎えしているのですよ。決してその場限りの浅い心でお迎えしているのではありません。)

 
これは万葉集に載っていて、中世の歌学界の第一人者といわれる紀貫之が、この「安積采女」の読んだ歌こそ歌の父であり、母と称してもいい、素晴らしい歌だと高い評価を与えています。この歌に詠まれた「安積山」「山の井」が歌枕として使われるようになったのです。あの松尾芭蕉も、この山へ関心を持って訪れました。
また、この句から、郡山の「安積采女伝説」が生まれました。安積の里山の井に住む春姫が、葛城王に見初められ奈良の都で帝につかえましたが、許嫁を恋しく思うあまり館を抜け出して家に戻ると、許嫁はこの世にはなく、悲しさのあまり身を投げたというお話です。奈良にも「采女伝説」がある事から郡山市は奈良市と姉妹都市です。
加えて、今回会場になります磐梯熱海温泉は今から約八百年前に発見されました。源頼朝の奥州平泉征伐後、安積郡を支配することになった伊東氏が生まれ育った伊豆国をしのんで文治五年に名付けたのだとか。また南北朝時代、建武のころ、京に住む公家の娘萩姫が不治の病に苦しんでいたところ「都を去る東北方、数えて五百本目の川岸に霊泉あり。それに浸かれば全快する」とお告げがありました。
姫はついに五百本目の川がある磐梯熱海温泉地内にたどり着きました。以来「美人をつくる名湯」として名を広めました。
福島県は広さと、そこに山脈が走り、気候が違うだけでなく、発展の仕方も様々です。今回は会場になります郡山の古代に焦点をあててみました。書きたいことがいろいろあり、乱文になりました事をお許しください。
それでは皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。