煎茶 花月菴会

護国寺茶会が開催されます

昭和九年四世楓谷家元との記念写真

開催日 令和4年5月22日(日)
大本山 護国寺

 東京都文京区大塚5-40-1

花月菴流東京支部が昭和初期から毎年開催されている護国寺茶会が開催されます。

コロナ禍を受け令和2年、3年は中止となっていたので、3年ぶりの開催になります。

感染防止の観点から今年は規模を縮小して茶席3席だけの開催です。

お問い合わせはsuzuki.mayumi@sencha.jp迄お願いします。

 

 

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煎茶のお茶席体験

お茶席体験茶会を開催します(大阪)

開催日 令和4年4月29日(祝)
天王寺区民センター 和室

 大阪市天王寺区生玉寺町7-57
大阪メトロ谷町線 四天王寺前夕陽丘駅下車 1号・2号出口から北へ約100m

第①席 10:30~11:15
第②席 11:30~12:15
第③席 13:00~13:45
第④席 14:00~14:45
第⑤席 15:00~15:45
各席それぞれ定員10名です。

 

 お茶会と聞くと「お抹茶」、茶道と言えば「京都」と思われがちですが、「日常茶飯」(日常の食事。転じて、ありふれた平凡な物事のたとえ[広辞苑])に普段私達が飲んでいる茶葉でれるお茶にも、江戸時代から続く「茶道」があります。

 武士や僧侶の「たしなみ」であった「抹茶」と違い「煎茶」の茶席には無用な堅苦しさは必要ありません。

 お茶はペットボトルで飲むもの。それが一般的になりつつある日本ですが、花月菴流が点前で使用する茶葉はすべて「玉露」です。高級な茶葉を美味しくれる最も合理的な方法が「花月菴流の点前」です。

 珈琲は缶コーヒー、お茶もペットボトルで充分とおっしゃる方も、是非一度「玉露」の味をお試し下さい。

 懐紙もご用意しています。手ぶらで、お洋服で参加いただけます。

お申込はこちらRESERVA予約システムから予約する

 

 茶葉を使う、いわゆる「煎茶」は江戸時代以前からも飲まれていましたが、そのお茶が江戸後期の文化人、知識人達の「文人趣味」となり、やがて「茶道」に発展したのには一人の僧、高遊外こうゆうがい 売茶翁ばいさおうの存在がありました。

 彼の精神に感銘、心酔した多くの文人達が嗜んだのが「煎茶」です。私どもの流祖、花月菴かげつあん 鶴翁かくおうもその一人です。彼はその衣裳も売茶翁に倣い、近畿の公家諸侯に献茶し、遠くは江戸にも出向いて文人達や将軍家にまで売茶翁の精神を広めました。
 やがてその功を認められ1838年、時の左大臣 一条いちじょう 忠香ただか公より「煎茶家元」の染筆「紫の巻」を下賜されます。これが我が国において煎茶が「茶道」として確立した起源とされています。

 

※煎茶道成立の参考資料 東京文化財研究所 安永拓世 先生の論文「江戸時代中後期における煎茶趣味の展開と煎茶道の成立」は近畿大学学術情報リポジトリのページでご覧いただけます。

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令和4年初煎次が開催されました

井上馨 筆 香涯楼

井上馨 筆 香涯楼

初煎次(大阪)

 初煎次が令和4年1月10日 花外楼 大阪北浜本店に於いて開催されました。

 

初煎次本席

花外楼

 明治8年、日本の政治の行方を決める重要な会議、俗にいう「大阪会議」が北浜の『花外楼』で開催された。
 大阪会議とは維新の元勲たちが1875年(明治8)大阪に集まって立憲政体の樹立を約した会議。
 征韓論の紛議や、征台の役に反対して、多くの参議が辞職。「大久保利通」を中心とする政府は、孤立無援の状態になった。そこで「井上馨」「五代友厚」の周旋により、同年1月に大久保利通・木戸孝允・板垣退助・伊藤博文らが、大阪に会し2月に至って、政治改革についての合意をみた。その内容は元老院・大審院・地方官会議を設け、内閣と各省を分離し元勲は内閣にあって輔弼に任じ、第二流の人物によって行政の責にあたらせるというものであった。
 この会議の結果、板垣と木戸が参議に復帰し、4月14日に政体改革に関する大詔が発せられ、漸次立憲政体へ移行することが国是となった。
 この会議の成功を祝って「木戸孝允」より贈られた屋号が『花外楼』であり、以来政界や官界の大立者が続々と出入りすることとなった。

(花外楼ホームページより抜粋) 

会員ログインすると会記などがご覧いただけます。

 

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令和3年初煎次が開催されました

木戸孝允 筆 花外楼

木戸孝允 筆 花外楼

初煎次(大阪)

 初煎次が令和3年1月10日 花外楼 大阪北浜本店に於いて開催されました。
 感染予防の観点から淹茶「真の真」供茶と同様にマスク着用でのお点前でした。
 

初煎次本席

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